「後継者から、プロ経営者へ」後継者たち 第4話 磯部塗装株式会社 磯部武秀社長 後編

明石海峡大橋は、新設時の工場塗装やボルト接合部分の防塵塗装メンテナンスなどの補修を請け負っている。
目次

手形の取り込み詐欺、事業譲渡スキームの否認、社内外からの信用不安、社員の大量離職、本業の赤字体質、ギリギリの資金繰り・・・窮地を救った「見えない資産」と、事業を再生した後継者から、プロ経営者への道のり。

社長になりましょうかと発言した後、弁護士やコンサルからは、若くて経験もない中で、大変なことになりますよと言われました。ただ、特段資産を保有しているわけでもなく、取られるものがあるわけではありません。自分が生まれ育ってきた背景である家業のことなので、私でよければリスクは取りますよとお伝えし、それで話は決着しました。前述のスキームで同族が経営を続けることへの是非はありましたが、他に成り手が居なかったというのが実態です。

就任を決めてから実際に就任するまで、2ヶ月ほど猶予をもらいます。流石に準備期間が欲しかったので、約60億円の本業部分と、約100億円の副業部分の中身をひたすら精査しました。後述しますが副業部分は詐欺のような話であったので、今後はもうその売上は見込めません。本業の60億円も実態は赤字で、副業でその赤字を補填していたような状況でした。

問題は山積しており、あらゆる事象に対して同時進行で対応していく必要がありましたが、集約させると

1.破綻の原因となった、架空取引での手形取り込み詐欺と事業譲渡スキームの問題点
2.外部の得意先・仕入先・協力会社や職人さんからの信用不安
3.内部の社員の大量離職、本業の赤字体質と、圧倒的にギリギリな資金繰り

この3つになると思いますので、一つずつお話していきます。

1.破綻の原因となった、架空取引での手形取り込み詐欺と事業譲渡スキームの問題点
塗料の販売事業の方で50億円の焦げ付きが発生し、その結果として手形が不渡りとなった件はお話しましたが、調べてみると循環取引という一種の手形詐欺に遭っていたことが分かりました。実際には受注していないのに架空の発注を弊社に行ない、支払手形を取り込む詐欺です。これに関して磯部塗装はもちろん被害者なのですが、金融機関には不良債権を発生させて迷惑をかけているため、完全な被害者とは言えません。一部の金融機関からは共犯的な見られ方をすることすらあったぐらいです。また、前述の第二会社方式の事業譲渡スキームにも大きな問題点がありました。グッドには磯部塗装の本業、バッドには磯部塗装の副業を当てましたが、本業の取引先には一切迷惑をかけないために、グッド・バッドで分割する際にバッドの方には大半の金融債務が入っていました。そのため、金融機関から、これは偏頗弁済(特定の債権者に対して、優先的に返済を行う行為)じゃないかという指摘を受けます。

結果的に私が経営を引き継いだ2年後にこの事業譲渡が裁判所で否認されることになり、バッドに移管した30億円の借入金は全額返済せよということになってしまいました。最終的には和解となり、一定の和解金を支払うことで決着することになります。

そもそもこのようなスキームを債権者の了解を得ずに強引に進めるやり方は、現在ではかなり難しくなっていますが、当時は強引に進めた上で、裁判外で和解するというやり方がまだ残っていたようです。プロである弁護士事務所とそこから紹介されているコンサルタントにその案を進められれば、社長である叔父はそれにすがるしかなかったのだろうと思いますね。私自身は当時、進めているスキームの全容を理解出来ておらず、この肩書きの人たちがいうならそれで行けるのだろうなと思っているぐらいの感じでした。ただ、実際に実行した後は大揉めに揉めたのですよね。取引も激減したりと、想定外のことが沢山起きます。

裏話ですが、担当してくれた弁護士事務所は、かなり強引な手法を取るということで裁判所でも有名だったようで、その事務所が担当した案件についてはかなり厳しく見るようにというお達しがあったと、後から聞いてなるほどなと思いました。

今振り返っても荒っぽい手法であることは間違いありませんが、結果的に今こうやって生き残っていることを考えると、それしかなかったのかなとも思います。法的整理に至っていたら、私が社長になることもなく、おそらくどこかに売却されていたと思いますし。

2.外部の得意先・仕入先・協力会社や職人さんからの信用不安
子会社へ事業譲渡をして事業を継続させるスキームなので、建設業の許可なども全て取り直さなければなりません。そうなると、工事の受注が出来なくなってしまうのですよね。取引先からは会社の事業再編に対する説明も無ければ、建設業許可の話も説明が無い!と大変お叱りを受けて取引停止を通告されるケースもありました。後から許認可を得た後、説明に伺いましたが、一度信用を失うと取り戻すのは難しいということを実感しましたね。今でこそ建設業は活況を呈しており、人手不足も理解されていますが、当時は仕事の絶対量も少なかったので、我々は選ばれる側の弱い立場であったこともありました。結局、本業の売上高は60億円から20億円へと急減します。

原材料である塗料の仕入れですが、130日期限の手形で支払っていました。今の磯部塗装の状況だと、手形では受け取れないので、現金で支払ってくれと言われるのですが、そもそも手元資金に余裕が無い、という状況です。協力業者さんも同じ話で、労務費は1ヶ月後に支払いますが、1ヶ月後に会社が存続しているかも分からない中で仕事を受けることに躊躇われる様子もありました。

3.内部の社員の大量離職、本業の赤字体質と、圧倒的にギリギリな資金繰り
130名弱ほど居た社員が80名になりました。こちらから辞めていただいた方も含めてですが、会社が厳しくなると優秀な人から先に辞めていくということもあり、苦しかったですね。

資金繰りはとにかくタイト。そして銀行とは先程お話した通り、貸し倒れが発生しているため新規での銀行借り入れは出来ません。就任後、5年間は銀行取引停止状態で資金繰りを回しました。我々のような業態では非常に難易度が高いことです。厳しい状況の中でも支援してくれた親方さんや、支えてくださる塗料のディーラーさんたちにご協力いただき、支払いは出来るだけ先延ばしして、回収は出来るだけ早く行なうことで何とか乗り切りました。

それでも資金繰りは厳しかったので、手形の決済期日のジャンプや、最長6ヶ月間は止められる社会保険料の支払いを待っていただいたり、あらゆる手を使って資金を捻り出していましたね。金融債務もバッドに移管して無くなった分もありますが、約10億円はグッド、つまり残存会社に残っていました。その内の半分は本社屋の売却によって返済し、残りは年に1億円ずつ返済することで完済しました。

おかげさまで直近の年商は54億円と、年商20億円へと急減したところから大きく飛躍させることが出来ており、営業利益も10%前後は残せる体質となりました。

これらの課題を乗り越えていけるきっかけとなった事柄や、私自身が取り組んだ施策について、項目ごとにお話させていただきます。

見えない資産
出口が全く見えない日々で、苦しいことも沢山ありましたが、残ってくれる社員さんや、手厚く支援していただいた塗料ディーラーさんなどに支えていただきましたね。引き継いだ会社の信用とか信頼とか、見えない部分の資産に凄く助けられたなという感覚は強くあり、この状況で支えてくれる人に恥ずかしいことは出来ません。みなさんリスクを取って支援していただいていたので。ここで自分が折れてしまったら、全てが瓦解してしまう。社内外のステークホルダーの方々のためにも、何とかこの会社を持たせよう、その思いだけでした。

毎年、年末になると一億円ほど資金が不足します。夏頃からその対策案を練り、お客さんに頭を下げ倒して、支払いを前倒ししてもらったりしたのですが、その時に若い頃に磯部さんにお世話になったから何でも言ってよ、みたいに言ってくださる方々が居られました。それは、過去の磯部塗装が周りの方々へ利益を還元するような姿勢を取っていたことも大きかったのではないかと思います。

そういう見えない資産を今後も高めていけば、会社の安定や成長に繋がるなと感じています。逆境というか、厳しい状況であったからこそ、そういうことが色濃く見えていましたね。信用が大事とは言いますけど、本当にその大事さを感じられる瞬間って、普段はそこまで無いのかもしれません。そういう極限の状況であったからこそ、大切さを感じられたのは、とても良い経験をさせてもらったと思います。

情報をオープンに
先代社長は、手形事故の時にも本当のことをちゃんと伝えず、大丈夫だとしか言わなかったのですよね。私は逆に現状をありのまま伝えました。

もう一つ、先代の時代は誰が成果を上げているのか、誰が成果を上げていないかという情報を明確にしていませんでしたが、私は逆に誰が成果を上げているか、誰が成果を挙げられていないかを全てオープンにしました。それは、成果を出している人のモチベーションを上げて、会社に残って頑張ってもらうためなのです。そして、成果を出している人たちを会社の中心に持っていきました。以前の磯部塗装では、発言力はあり、売上は作るけど、利益を残さないというような方々が会社の中で大きな顔をしておられたという背景もあります。

そういうマイナスの情報や、会社の資金繰りについても全て開示していきました。それをしないと、今銀行との取引が出来ないから、年末までに1億円の資金を捻り出さないと資金ショートしてしまう。だから、取引先に回収の前倒しをお願いしますよ、支払いは後にずらしますよという話が繋がって理解できないからです。

組織を刷新
少しずつ会社の状況が見えてきたある日、居酒屋で社員さんと飲んでいた時の話です。周りからも頼りにされていて、私もこの人なら任せられると思っていた方に、居酒屋のペーパーナプキンを渡して、自分がボスで東京エリアの組織を作るならどんな感じになるか、書いてみてほしいと伝えました。東京エリアの実態は赤字であることも伝え、今のままでは事業を継続できないという話もした上で、その方が考える、利益が残る組織がペーパーナプキンに記されます。それを受けて、タイミングとしては私が社長に就任する直前だったこともあり、自分が社長になるまでにこの通りに組織を変えてくれと頼みました。というのも、その新組織図は私が事前に分析したデータとも、内容が符合していたためです。

新組織図に入ってこない人たちは、会社の利益に貢献出来ていないということなので、ストレートに数字をお見せした上で辞めていただくという退職勧奨を私自身が行いました。もちろん面談はスムーズに行ったわけではありません。ただ、私自身は過去三年分のデータを全て洗い出した上で面談に臨んでいましたし、いきなりやって来て今から社長をやる私に正面から文句を言うのは難しかったのだろうと思います。経緯上、私の責任で危機的状況に陥っているわけでないのはみなさん理解してくださっていましたので。

徹底した情報共有
先代がパソコンを使えなかったことから察するに、経理部長がそろばんをはじいて計算をしていたとか、一事が万事、そういう状況でした。売上に対して人件費が過剰な状況を改善するためには、まずはバックオフィスである管理部門から手をつけざるを得ません。営業を含めた直接部門を減らしてしまうとそのまま売上の減少に繋がってしまうので、出来るだけそれは避けたかったのです。なので、バックオフィスのフローはシステム化できるところは全て行いました。あと、弊社はトークノートという社内SNSの導入と活用がかなり早かったですね。その前はメーリングリストを使っていたのですが、社内SNSを入れてからは情報共有がとてもスムーズに進むようになりました。

私たちの仕事は、施工現場での動きが主となるため、日々のお互いの仕事が見えません。出張に出たりすると、半年間ぐらい顔を合わせていない、ということもあるので、日々の現場の進捗や状況を社内SNSへ報告を義務付けて、情報共有を行っています。現場が順調か順調じゃないのか、順調じゃないとすると、どういうことが要因になっているのかというのを写真付きで共有することで、どこで誰がどんな風に頑張っているのかが見えるようになりました。定性的な話だけではなく、数字もきっちり出してもらい、ここで共有している数字を集計して、各自の評価に全て繋がるようにしています。また、このようなオンの話以外にも、研修旅行の様子を共有したりなど、オフの話も含めて共有していますね。カジュアルなコミュニケーションも含めて、報告・連絡・相談を見える化している、ということになるのでしょうか。

営業利益の1/3はストックし、1/3は先行投資へ、残りの1/3を社員へ還元
経営的な感覚を持ってもらうために、利益を分配する約束を行っています。最終的には全て営業利益で評価します、ということですね。

各支店、営業所の利益状況を、各支店長が旗を振って、週次、月次で予算進捗を追っており、それらがボーナスの額に反映されるというところにまで落とし込んでいます。

だから、各現場で利益を上げることも、経費を削ることも、会社のプラスになることは、当然社員全員のプラスにも直結するということを仕組みとして構築しています。

この施策はかなり重要ですね。これを実現するためには会社の数字を全てフルオープンにしないといけないですし、不信感を持たれてしまったら成り立たなくなります。

営業利益の1/3はストックとして財務体質の強化に当てます。1/3は先行投資として採用や育成に。残りの1/3を社員へ還元しています。

再生候補先をM&Aし、グループ拡大へ
現在、M&Aを通じてグループ会社が増えていっていますが、これらの考え方を同じように買収した会社に適用しています。

2023年にグループ入りしたヤマギシリフォーム工業ですが、元々は塗装業界における私の先輩の会社でした。170年続いている老舗の会社ですが、急成長を続けていた会社です。我々磯部塗装は土木系の仕事が多く、高速道路や橋などの交通インフラのメンテナンスが主でしたが、ヤマギシはマンションの大規模修繕を主に行っていたので、競合関係ではありません。

コロナ禍の影響と急成長の反動もあり、ヤマギシは経営に行き詰まりました。経緯は色々とありましたが、当初自主再生を目指していたところ、それは難しいということでスポンサー型の再生に切り替わります。債権・債務をカットするスキームでもあったので、スポンサーへのエントリーは100社ぐらいが手を挙げましたが、結果的に磯部塗装が選ばれることになりました。磯部塗装の子会社に事業を譲渡させるという、15年前に自社でやろうとしたスキームを、正式な形で再現するものです。金融機関にもデットカットを了承してもらい、一般の協力業者には迷惑をかけず、事業をそのまま継続するというスキームを実現できました。

そのおかげもあってか、売上は引き受ける前の年商80億円を下回らず、今期も年商100億円を超えてくる見込みです。

再生に際して、もちろんフォローはしてもらっていますが、磯部塗装の人間は一人も連れて行っていません。実際に会社に行って、オフィスの席に座って、少しずつヤマギシの人たちと仲良くなるというプロセスを歩みました。もちろん幹部クラスの人たちとは正式なM&A手続きの前に、約30人の方々と30分ずつ面談をしています。その際に、新しい体制の中心はこの人たちだなというのも見えていたので、それに基づいて組織を変えました。磯部塗装の時と違って、実際のビジネス自体にはそれほど問題が無かったので、大きく変えてアレルギー反応が出ないよう、利益管理に甘いところなど、弱いところをカバーするやり方を取っています。

磯部塗装で実行してきた施策を行ない、体制を変えただけで再生初年度で営業利益3.5%を出すことが出来ました。2年目の今年度は5%以上を見込めるレベルで計画は進捗しています。

再生に取り組むスタンス
磯部塗装、ヤマギシと手がけたことで、同じような事例のオファーが複数来るようになりました。ヤマギシはある程度自走出来るレベルになってきたので、そこは任せつつ、当社グループで面倒を見てほしいというオファーに対しては、グループを伸ばしていきたい気持ちも強いので、出来るだけお受けしていこうと考えています。

私自身も磯部塗装の社長に就任して四苦八苦している時に、周りの方々に支えられてやってきました。直接その方々にお返しするのではなく、違う会社の再生に取り組むことで、社会に対して恩返しをしていきたいという気持ちです。

後継者がいない、人手不足、あるいは受注の取り方が良くないため財務が傷んでいる地方の会社の案件が多いですね。それぞれの企業は地元で長くやっているので、地域での存在感も強いですし、のれんにも価値があります。財務的な調整を行って、人材を供給すれば復活出来るなという感触を得ているところはあるので、そういうところから着手していこうと思っています。

再生に着手する際には、自分が全て直接やるというスタンスではなく、コンセプトや考え方を伝えて、その会社の人たちにやっていってもらうというアプローチです。先ほどお話した、営業利益を出すことが自分たちの待遇改善に繋がるという話にあるように、会社が良くなるために、最終的には自分たちが安心して豊かに暮らせるように、どんどん自分たちで改善をしていってもらうというイメージですね。

どういう状況であっても、人に相談するのを躊躇わないのは私の特性だと思います。今でもそうですが、悩む前にすぐに信頼出来る人に電話して尋ねています。というのも、自分のことをあまり信用していない、というか、自分を何でも出来る人間とは捉えていないので、自分一人で考え込むのは無駄だと思っているからでしょうね。自分は剛腕型のリーダーシップではなく、調整型だと思っているのはそこがベースにあります。出来る人の意見をまとめていった方が早いと思っていますし、自分が信頼して尊敬している人が5人中4人が同じことを言っていたら、大体それは合っていると思うのです。

これから先の我々の業界は、技術力や品質が大事なのはもちろんですが、良い人材を確保していて育成していくことが最も重要なので、そこで差別化していこうと言っています。それに関連した自慢が一つありまして、弊社の離職率は1%を切っています。みんな辞めませんし、出戻りしてきた社員も多いですね。その辺りのノウハウはマクドナルドで学んだことが役立っているのかもしれません。磯部塗装で人材を育成していって、これから手掛ける地方の会社に送り込んで、その会社でリーダーになっていくような流れも作れると、より採用もやりやすくなるかなと思っています。

同族経営からの脱却
現状、先代社長である叔父は退任していて、専務であった父はそのまま残ってやってくれています。塗料メーカーで修行をし、会社に戻ってきた弟は、赤字だった名古屋支店を立て直して支店長を担ってくれています。

今後は、同族経営からの脱却を念頭に置いています。会社の所有と経営の分離ですね。同族企業として蓄積していく資産もあれば良いと思いますが、ビジネスは同族で承継していく必要は無いと思いますし、社員も300名ほどに増えて、良い人材が増えてきている中、より出来る人がそこのビジネスを伸ばしていくべきかなと。私に子供が生まれた時、5代目ですねと周りからは言われましたが、次の社長の苗字は磯部ではないはずで、皆さんはこの会社のボスになる勢いでやってもらわないと困りますという話を伝えました。

ヤマギシも3年間しか社長はやらないと明言しています。3年間の中で最も数字に貢献した人間が、然るべき立場に就くべきだと思っています。今後もグループ内で連携はしていきますが、そういう形でグループを広げていきたいですね。

著書紹介

周りが自然に助けてくれる人の仕事術/磯部武秀
2017年に発売された磯部社長の著書。

序章
ある日、いきなり負債50億円の会社の社長になってしまった

第1章
20代は「お金」ではなく「ムリ」を貯金しよう ?「透明貯金」のつくり方

第2章
27歳で借金50億円を背負って見えてきたこと ?「透明貯金」の存在

第3章
新入社員は「ムリ」「ムチャ」「ムダ」なことをやろう ?自己規制しない

第4章
人生は逆境のときほど面白い ?困難を乗り越える方法
磯部塗装株式会社
業種1.橋梁製作会社工場内での橋梁・鉄骨の塗装工事
2.鉄道橋・道路橋及び高速道路の塗装工事
3.鉄骨・鉄塔・プラント設備等の塗装工事
4.建築一般塗装工事、ビル・マンション・住宅等のリニューアル工事
5.機械式駐車装置塗替、防滑処理工事
6.防水・ライニング・床工事
7.アスベスト関連工事
8.塗料及び建設資材等の販売
9.電気・電子部品、電子機器の販売、ケーブル加工品の販売
10.電気工事、情報通信工事、光ファイバー工事
本社所在地東京都江東区亀戸2-26-10 立花亀戸ビル6階
代表者磯部 武秀
ホームページhttps://isobe-painting.co.jp/
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この記事を書いた人

サクセッション 編集長
1981年 京都生まれ。2006年 立命館大学卒業後、祖父が創業して父が経営していた着物メーカーに後継経営者として入社。父の急逝に伴い、2007年に代表取締役に就任。2017年に祖業を事業譲渡。その後、自身で立ち上げた事業も2018年に事業譲渡後、官民ファンドであるREVICの再チャレンジ支援によって法人は和解型の特別清算処理を行った。2018年に事業承継・レンタルビジネス・ECコンサルティングを手掛けるDEPLOY MANAGEMENT株式会社を設立し、現在までに多数のクライアントの課題解決を手掛けている。

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