第12回「中国ビジネス」 | たんす屋創業者 中村健一の回顧録

蘇州の刺繍工場
引用元:徳永しんいちのブログ 上海・蘇州政務調査2

約20年ぶりに、東京山喜で最初の中国人社員であるGGさんから突然の電話がありました。彼は現在71歳で、江蘇省蘇州市に住んでいますが、奥様とお嬢様はアメリカ・バージニア州に暮らしているそうです。もう一人の元社員、62歳のGFさんも一緒に、私の自宅を訪ねてくれることに。懐かしい再会に、家内も交えて4人で近所の割烹で夕食を楽しみました。

GGさんは、弊社退職後に実業家として成功を収め、現在も活躍されています。その噂は耳にしていましたが、直接会って話をするのは久しぶりでした。一方、GFさんは、千葉県に在住し、成田空港の入国管理局や警察署で中国語の通訳として今も現役で働いています。

彼らも、かつて私と共に働いた日々を懐かしく思い出してくれていました。しかし、わざわざ東京まで私に会いに来てくれたのには、特別な理由があったようです。GGさんは、歯の不具合を治すためにアメリカで高額なインプラント治療を受けました。治療費は日本円で約1,000万円ほどかかったそうです。しかし、日本に戻った後にそのインプラントに問題が発生し、日本で再治療を受けることになりました。その際、麻酔中に臨死体験をし、「70歳を超えた今、いつ何が起こるかわからない。元気なうちに会いたい人に会っておこう」と思い立ったのだそうです。彼は、「自分もGFさんも、社長(私のことを今もそう呼びます)と出会わなかったら、今の人生はなかった。今の人生に満足しているし、出会いに感謝している」と言ってくれましたが、その言葉を聞き、私も同じ思いで嬉しく思いました。

私とGFさんが出会ったのは、1988年に香川県観音寺市の市会議員で香川県日中友好協会会員の大西さんから太鼓台を受注したことがきっかけでした。観音寺市の加麻良神社に奉納する丸中太鼓台の刺繍加工を、中国・江蘇省蘇州市の工場に発注し、私が現地視察の引率役を務めたのです。

当時、国内で発注すると納期は約5年、費用は3,000万円以上が一般的でした。しかし、中国では納期を1年に短縮でき、価格も大幅に抑えられたため、発注先の品質や納期を確認するために香川県日中友好協会として訪中することに。中国では、日中友好協会の受け入れは通常「中日友好協会」が対応しますが、実際には地域の「外事弁公室」が窓口となります。今回の視察でも、蘇州市外事弁公室の日本担当者が案内役を務めました。その担当者こそが、GFさんであったのです。視察は順調に進み、大西さんたちも刺繍の品質と1989年8月末の納期に一定の評価と理解を示してくれました。

訪中団はその後、蘇州市内の観光を楽しみ、友誼商店で買い物をしてから列車で上海に戻り、翌日帰国する予定でしたが、私は弊社の中国刺繍着物の仕入先である京都の着物メーカー「堀江」の協力工場を見学するため、別行動を取ることにしました。工場見学を終え、列車出発の30分前にタクシーで蘇州駅に向かったのですが、まさかの大渋滞。必死に駅のホームまで駆け込んだものの、列車は無情にも発車してしまいました。呆然と立ち尽くす私に、声をかけてくれたのがGFさんでした。

当時、携帯電話もなく、彼に頼んで訪中団の宿泊する上海のホテルへ電話をかけてもらい、伝言をお願いしました。次の列車まで2〜3時間待つことになりましたが、その間に彼とさまざまな話をし、すっかり意気投合。彼は「いつか日本に移住したい」と考えており、私は改革開放が進む中国に新たなビジネスチャンスを感じていました。お互いに新しい可能性を模索しながら、従来の商流とは異なるルートを開拓できるかもしれないという期待感を抱いていたのです。

その年の暮れ、GFさんから「友人が商用で大阪に出張するので、ぜひ会ってほしい」と連絡がありました。大阪のホテルで出会った彼の友人は、蘇州市工芸品進出口公司の名刺を持っており、私に見せたのは「明綴の袋帯」です。当時、中国の生糸や絹製品の輸出は「シルク公司」が独占し、日本側も「友好商社」と呼ばれる企業が輸入を独占していました。しかし、鄧小平の改革開放政策により、シルク公司以外でも輸出が可能になりつつありましたが、既得権を守る流通チャネルが強固に残っていたのです。そんな中、GFさんの友人が持ち込んだ明綴帯の価格を聞き、私は愕然としました。これはなにかが起こるかもしれないと予感します。その直後の1989年の6月4日、天安門事件に遭遇することになります。

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この記事を書いた人

たんす屋創業者
1954年 京都生まれ。1979年 慶応義塾大学卒業後、祖父が京都で創業し、約80年の歴史を持つ老舗呉服卸店 東京山喜株式会社入社。1993年 代表取締役社長に就任。1999年 リサイクルきもの「たんす屋」事業を立ち上げ、それから僅か7年弱で100店舗を超えるまでに成長を遂げる。2001年 同事業にて第11回ニュービジネス大賞 優秀賞を受賞。2006年 商業界より『たんす屋でござる』を出版。2020年4月 コロナウイルス感染拡大に伴った緊急事態宣言発令の影響もあり、民事再生法の適用を申請。同年9月にまるやま・京彩グループにたんす屋事業を譲渡。現在はまるやま・京彩グループの顧問を務めている。

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