その昔、会社を継いだ時に分かったことがあります。
それは、社長と呼ばれる人たちは概ね3パターンに分類出来るということ。訳が分かっていないながらも、仕入先(こちらが買う方)・得意先(こちらが売る方)・その他の取引先や金融機関など、誇張では無く数百社の社長(銀行は頭取)とお付き合いする過程で、そのことに気付きました。
その一、創業者。一般社会生活ではやっていけないレベルの癖の強さを持ちつつも、とにかく豪快で、懐が深い。数字や取引にはとてもシビアですが、何だかんだと浪花節で対応してしまって損害を被るケースもありつつ、最後は自身の腕一つで全てを取り返してしまう。そういう人たち。
その二、サラリーマン社長(ここでの定義は一定割合以上の株を持っていない)。社会人としては一番まともですが、概ね自分の任期を滞りなく乗り切って、関係会社や取引先への天下り、または規定上の退職金を満額ゲットすることが最優先事項。なので概ね無難に安全運転が基本。たまに中興の祖みたいな人が出てきて、ガラッと変わることもありますね。
その三、世襲の後継者。もちろんこの中でもいくつかのパターンに分かれますが、本質的には良い育ちの良い人なので、その一の創業者たちに比べれば線が細く、迫力に欠けると言われがち。また、後継者という特殊な立場も相まって、その二のサラリーマン社長のような社会人としてのまともさにも欠けるというか、スポイルされていく中で徐々に無くなっていったりもします。経営スタイルですが、潤沢な資産を持っている場合はその二のサラリーマン社長より保守的な経営をする人も居るし、負債が多い場合はどったんばったんと荒っぽい経営になる人も多いですね(昔の私)。
ちなみに世襲のパターンとしては娘婿が継ぐケースもたまにありますが、直系よりは基本的な能力が一定程度担保されており(そうでないと継がせられない)、緊張感を持たざるを得ない環境でもあるため、良いバトンの繋ぎをされるケースも多い印象。
和装産業、その中でも特に京都の室町と呼ばれる着物の最大集約産地では、少ないながらも上場している会社の場合はその二のサラリーマン社長が居られ、数は少ないその一の創業者の最後の世代の方々を除けば、殆どがその三の世襲後継者です。また、私が入社した時点では、(私が継いだ会社を含めた一部を除いて)負債過多の会社はすでに跡形も無く吹き飛んだ後であったので、何某かの資産があり、それを減らさずぼちぼちやりまひょか的な方々が圧倒的なマジョリティでありました。
そんな中、その方は明らかに異質でした。毎日、着物に袴姿で、土足厳禁の着物業者を回るには絶対に不便なはずの、脱ぎ履きに時間がかかる編み上げブーツを履き、お付きの人間も付けずに一人であちらこちらを飛び回っておられました。
着物の問屋業を継いだ後継者でありながら、自身で着物のリサイクル販売チェーンを展開することで、問屋業から完全に脱却するという離れ業を実現させたその方は、私にとって目指すべきロールモデルであったことは間違いありません。
その方の考え方や思考のプロセス、行動のあり方、はたまたその会社の風土や組織体制、仕組みまでもが私の分析対象となり、執筆された本を幾度となく読み返すのはもちろん、過去に経済誌に掲載された記事までも取り寄せるという、ある意味では熱心なファンのようでもあったと思います。
私が経営していた会社のBtoBからBtoCへの業態転換が加速し始めた2014年頃から、仕事上での繋がりもより強くなり、決してべったりとした付き合いではありませんでしたが、要所要所では必ずお話させていただく関係に。
祖業を売却することになった際も、諸手を挙げて賛成してくださり、売却先候補についても太鼓判を押していただいたことや、最後の特別清算に向けた事業売却時も、ご迷惑をおかけしたことも含めてお世話になりっぱなしでした。
その後は実質的に着物業界を離れたこともあり、何のご縁も無くなってしまっていた最中、その方の会社が民事再生を申請したことを知ります。
衝撃や悲しみといった感情と同時に、心のどこかでは仕方が無いと納得出来てしまう思いが入り混じりましたが、紆余曲折ありつつも事業は譲渡されたことを知って、勝手ながら安堵していました。
話はここで終わるはず、だったのですが、閉められた箱の蓋を開けるために、意を決して連絡を取り、いくつかのプロセスを経て、二週間前に第1回 | たんす屋創業者 中村健一の回顧録を掲載することが出来ました。
日経ビジネスの「敗軍の将、兵を語る」のような、ある意味では見世物のようなコンテンツにしたいわけではなく(あの連載自体はとても有意義なものであると思います。念のため)、東京の日本橋掘留の前売問屋が、いかにしてきものリサイクルチェーンNo.1に上り詰め、最後は事業譲渡されることになったのか。その全ての過程には、事業承継における学びしか無いだろうという確信の元、この連載をオファーしております。
立ち上げたばかりのこのサクセッションは、まだまだメディアと呼べるようなレベルではありませんが、一発目に何を持ってくるかはその媒体の色を明確に定義します。それなりの期間考え続けた結果、たんす屋創業者の中村健一様に回顧録を書いていただくことこそが、このサクセッションのスタートに相応しい。その思いは、第一話を掲載後の想定以上の反響を見て、より確信に変わりました。
ということで、何であの連載がスタートしたかの裏話でした。しばらくは所謂こたつ記事や連載が主となりますが、非常にエキサイティングな取材も決まり始めているので、ぼちぼちお付き合いいただければ幸いです。