
呉服問屋に未来は無いと確信して、着物マーケットにおけるリユース着物を中核に据えたSPA(Specialty Store Retailer of Private Label Apparel)を目指すと決めました。
着物の古着屋の歴史は長く、老舗百貨店の多くは、髙島屋も大丸も松坂屋も古着の着物販売がスタートです。電鉄系百貨店以外で唯一の例外は三越で、彼らは着物のディスカウントストアが創業期の業態でした。いわゆる「現金、正札、掛け値なし」です。
その長い歴史の古着着物をSPAと認識することが、たんす屋の最大のイノベーションであったと今も思っています。この本質を理解している人は、業界の中でも少ないのではないでしょうか。
この点においてたんす屋は、ながもち屋と決定的に異なります。ながもち屋にインスパイアされたことは間違いありませんが、私が目指した業態はリサイクル着物ショップと言う名のSPAです。
結果的に1999(平成11年)年9月1日にたんす屋1号店を、JR船橋駅の駅ビルシャポー地下一階に出店。僅か1年で26店舗になり、約7年半先行してスタートしていたながもち屋を抜き去りました。
更に2001年(平成13年)1月12日に第11回ニュービジネス大賞、優秀賞を受賞させて頂きます。しかしながら、実際の所そのスタートは容易なものではありませんでした。
先ずは、社内の意見がまとまりません。宝飾事業は撤退する、シルクに特化したアパレル事業シルクバザールも在庫が膨れ上がり収益力を失いつつあり、中国で生産する着物や帯の仲間売も売先の与信が細り、資金的にも新規事業に挑戦することは、容易な環境ではありません。
それでも、何が何でも消費者のたんすの中から直接着物を買取る事にこだわり、先ずは荻窪駅近辺に着物買取のチラシを撒きました。ここは、私が初めてブックオフに出会い感銘を受けた場所で、中央線沿線の成熟した街です。
早速、お客様から買取希望のお電話がありました。当然ながらたんす屋事業部はまだ存在しておらず、出張買取をする担当もいません。迷わず営業部の空いていたライトバンに乗って、コクヨの伝票と領収書を持って出かけました。
チラシは「着物だってリサイクル」のキャッチコピーに、シルク・コミュニケーションという名前で出しましたので、東京山喜の社長の名刺では段取りが良くないと思い、途中で車を止めて、スピード名刺を作ります。更に名刺が出来るまでの時間に、銀行に行って買取の支払いに用意した現金をすべて新札に両替しました。
準備万端で始めるのではなく、先づは走り出して、走りながら考えるのが私のいつものやり方です。
買取りの初めてのお宅は古い一軒家で、70代後半と思われる品の良い奥様が、すでに大量のお着物をたんすから出して待っておられました。着物の仕入は慣れていましたが、古着着物の買取は生まれて初めての経験です。正直なところ私の心臓は、バクバクと音を立てていました。
素晴らしいお着物も、古くてさほどでない物も、珠玉混合でしたが、いくつかの価格帯に振分け、伝票に査定金額を記入し、奥様にこれがいくら、これがいくら、そしてこちらがいくらと説明し「合計3万2,500円です」とお伝えします。3秒ほどの沈黙の後、「あらそう、じゃ全部持っていって」と言われました。
新札でお支払を終え、段ボールに着物を入れ終えると、お茶を出してくれました。お着物にまつわる話をお聞かせいただきながら、これは大変な仕事を始めたなと感じます。
数ケースの段ボールをかついでライトバンに戻る背中に、「ご苦労様!」の声。その声のトーンから、この仕事は必ず成功すると実感しました。
その後も買取の依頼は継続し、社長室はあっと言う間に古着着物の段ボールで山積みに。
ながもち屋の向こうを張ってたんす屋にしようと思っていましたが、店舗のリーシング経験も無い状況下、出店の目処さえたちません。
幹部からは社長室が臭いと言われ、困り果て先ずは、買取った着物を当時の古着着物業界の元締め的存在であった鶯谷の「結城伏見」に買取ってもらおうと思い立ちます。「結城伏見」の社長に電話をかけて、当時新規事業の担当に移動してもらった山本次長と二人でライトバンいっぱいの古着着物を持ち込みました。
すべての着物と帯を段ボールから出してお見せしましたが、「結城伏見」の社長から出てきた答えは、「値のつくものは、一点も無い。あんたの様な、どの付く素人がこんな物に手を出したらとんでもないことになるよ。」でした。
帰りのライトバンの中で私も山本次長もとにかく一言も出ません。私の背中からは、冷たい汗がじわじわと流れてくるのを覚えています。
そんな状況下、山本次長からJR船橋駅の駅ビルシャポーに空き店舗があるから見てくれと言われ、すぐに飛んでいきました。
そこは数日前のテレビニュースで倒産したと報じられていた、アメリカ屋靴店の店舗です。向かい側が婦人靴のダイアナで、15坪ほどの店舗にはテープで入れない様になっていました。
すぐに駅ビルシャポーの事務所に行って、アメリカ屋靴店の跡に出店したいとお願いしましたが、すでに次のテナントが決まっているのでダメです、と言われてしまいます。がっかりして帰る背中に、ちなみに何屋さん?と聞かれ、リサイクル着物です、と答えるとちょっと待ってくださいね、と言われました。
これがじつは、たんす屋の一号店につながります。
