
JR船橋駅ビルシャポーの事務所で、アメリカ屋靴店の跡に出店するテナントはすでに決まっていますと言われがっかりして帰る背中に、ちなみに何屋さん?と聞かれ、リサイクル着物ですと答えると担当者の態度が一変します。まあまあ、こちらにおかけくださいと言われ、実は次のテナントの出店が11月からなので、9月〜10月の2ヶ月間の催事出店ならば検討しますと言われたので、その場で9月1日の出店を決めました。
のちに駅ビルシャポーを運営するJR東日本都市開発の力村社長と契約時にお会いして事情がわかります。JR東日本は、マーケティングのコンサルを当時ジャパンライフデザインシステムズの谷口正和社長に依頼されており、力村社長も定期的に谷口正和社長の勉強会に参加させておられました。その勉強会で直前のゲスト講師が、新装大橋の大橋英士社長で、リサイクル着物「ながもち屋」の成功事例をお聴きになり感銘を受けられたそうです。早速JR東日本の駅ビルにも出店を依頼されたそうですが、新装大橋の出店対象はあくまで百貨店であり駅ビルは出店経験も無いし出店予定もないと言われがっかりしておられたとのこと。そこで力村社長は、傘下の駅ビルの店長にこれからはリサイクル着物がヒットするから、その様なテナントをリーシングするようにご指示されていたそうです。
2ヶ月間の短期催事出店ということもあってか出店審査も甘く、審査が厳しいと言われているJRの駅ビルでしたが、即座に出店許可が出ました。一方で、古着業界のドン「結城伏見」の社長に買取拒否をされた大量の古着は臭いで社長室に置いておけなくなり、一旦新潟県十日町市にあるお取引先に送らせていただき、全品丸洗いをするようにお願いします。当時、正絹の着物を一点丸洗いを依頼すると3,000円前後のコストがかかっていました。これではリサイクル着物をお客様が喜んで買っていただける様な価格は実現できません。
そこで、このコストを十分の一にするための具体的施策を現場に行って試行錯誤をしました。その結果、①大量に継続的に丸洗いを発注すること、②丸洗いの結果着物に瑕疵が発生しても補償を求めないこと、③納期を決めないこと。
リサイクル着物「ながもち屋」もそうですが、従来の古着着物業界で事前に丸洗いをしてから販売するビジネスモデルは皆無でした。リサイクル着物ショップたんす屋をSPAにするためには、ここは譲れない一線であったのです。たんす屋の商材の原料は、ご家庭から買い取ってくる。しかしこれらを自社のリスクで加工する。この加工が丸洗い、殺菌加工、抗菌加工、消臭加工で、更に事前に検針をすることをマストにしました。試行錯誤を繰り返し、ドライクリーニングの際に殺菌剤、抗菌剤、消臭剤を投入し上記の①、②、③を許容することで加工コストの大幅削減を実現しました。
たんす屋一号店の「箱」が決まり、「商材」が揃いましたが、一番大切なファクターが未定でした。それが人材です。東京山喜は創業以来呉服問屋でしたので、小売経験者が一人もいませんでした。呉服屋は人材産業と言われることもあるように、個人の販売力に依存する部分が高いビジネスです。私が目指したビジネスモデルは、個人の販売力に頼らない着物ショップでした。
一号店の店長を探していたところ、新規事業担当の山本次長が弊社の仕入先の竹下利が東京支店を閉鎖するので、弊社の営業担当者が失業するが彼はどうだろうと提案をしてきます。私もよく知っている人物で、着物業界は40年を越すベテランですから着物の知識は豊富ですが、小売経験は皆無でした。彼はすでに年金受給者でしたので、とにかく2ヶ月間は月20万円で引き受けていただき、開店告知のフライヤーでパートのスタッフ募集も当時の最低時給に近い金額で行います。
いよいよ1999年9月1日水曜日がたんす屋一号店のオープン初日。ちなみに、この日は私の満45歳の誕生日でした。現在のようにSNSも無い時代でしたので、フライヤーのみでのオープン告知でしたが、初日から多くのお客様が来店され、初日の日販は何と約60万円。お買上げ客数が60人、お買上げ客単価が約10,000円でした。小売経験の無い店長と、着物が好きということで来てくれたスタッフで9月の1ヵ月間で約600万円の売上を達成します。駅ビルシャポーの担当者からは、アメリカ屋靴店の倍近い売上ですね、と喜んでいただきました。
ここからわずか1年後の2000年8月31日時点でたんす屋は、なんと26店舗に急成長することになります。小売経験も無く、店舗のリーシング経験も無く、新規事業を立ちあげるための資金も無い東京山喜が立ち上げたリサイクル着物ショップたんす屋がわずか1年で、店舗数、売上高、販売点数のいずれをとってもリサイクル着物というニッチなマーケットではあるが、先行するながもち屋を抜き去りトップになりました。リサイクル着物の市場は以前に述べさせていただきました通り老舗百貨店が草分け的存在であり、数百年の歴史を有します。
その様な業界において新規参入者が1年でトップになる。通常では考えられない現象ですが、これを可能ならしめたのには、二つの条件があったと私は考えています。
