
1999年9月1日にたんす屋一号店を船橋駅ビルシャポーに出店し、わずか一年で26店舗に急成長したわけですが、翌年の2000年6月にはアメリカへの進出を目指して、なんのあてもなく単身渡米します。いつもの私のやりかたで、中国の時も似たようなやりかたでした。ひさしぶりにロサンゼルス国際空港に一人で降り立ったときの高揚感は今も覚えています。先ずはレンタカーを借りて、LA郊外のトーランスに行き、マリオットコートヤードというリーズナブルなホテルにチェックインしました。アメリカで必ず着物は売れるという予感がありましたが、具体的な施策は皆無です。
このコラムでも書きましたが大学時代に大怪我で一年間の休学を余儀なくされその折、California State University Long Beach に留学をしていたことがあり、若干の土地勘と知人がいたことが先ずはLAを選んだ理由でした。更にこの二、三年前の夏休みには、小学生の子供二人と家内を連れて4人の家族旅行でロサンゼルスからレンタカーでラスベガス、グランドキャニオン、サンフランシスコ、ホノルルへ遊びに行ったことも懐かしい思い出です。
当時のLAには、約30万人の日本人と日系人が住んでいました。最近では大谷翔平選手の活躍で彼らもさぞや誇らしい思いをされていることでしょう。LAダウンタウンのリトルトーキョーは日本人街としていまも有名ですが、それ以外にもガーディナという日系人街とトーランスという日本人が多く住む町があります。ガーディナは、戦後、強制収容所から解放された日本人が作った町と聞いていましたが、当時はほぼコリアンタウン化しておりました。一方でトーランスは日本企業で働く日本人が多く住む町として有名であったわけです。
先ずは地元紙でパソナの現地事務所がトーランスにあるのを見つけて、そこで現地の情報に詳しい人材を紹介していただきました。この日本人スタッフに現地の着物事情を聞いたところ、トーランスのシビックセンターで毎年大掛かりな着物の販売会があることを知ります。ハワイに本社がある会社で、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨークで毎年イベントを開催しているようでした。同時に拠点探しと出店候補地を見てまわりましたが、拠点にはギフトショーの第二会場としても使われていたLAマートが有力だと感じます。東京の五反田TOCに似た感じで、多くのメーカーや卸売業者が入店しておりました。複数の商業施設も見てまわりましたが、印象に残ったのは、サンタモニカのプレースモールとセンチュリーシティの2か所です。
二回目の渡米は2000年9月と記憶していますが、テックスウーバというハワイの会社がトーランスのシビックセンターで開催する2日間の販売会を見ることが最大の目的でした。10時の開店ですが、9時半ごろに現地に行くとすでに長蛇の列ができています。一目見た感じですが、約80%がローカルのアメリカ人、約20%が日本人・日系人と言った感じでした。2日目も初日と同じ長蛇の列です。彼らの戦略は非常にユニークで、初日は帯だけの出品、二日目は着物だけの出品で、おそらく初日の混雑緩和のためでしょう。約200坪程度の会場内は異様な熱気で接客は一切なく、お客様が大きなビニール袋に自ら気に入った商品を入れてレジに並ぶといった具合です。この光景は、どこかで見たことがあると思いました。
たんす屋を立ち上げるぞ、と思い立った最初のきっかけです。朝日新聞で、シニア向け雑誌「いきいき」が主催する古着着物の販売会が銀座のチャンドラボースビルで開催され大盛況という記事を読んで早速見にいきましたが、長蛇の列で整理券を配っていました。それも翌日の入場整理券です。お客様が来ない呉服店の展示会に慣れきっている私にとって強烈なインパクトでした。なんとしても会場内を見たかったので、関係者のような顔をして列を掻き分け会場に入り込みます。しかしながら満員のお客様と暖房でパワーアップしたナフタリン臭に5分も経たないうちに気分が悪くなり、せっかく潜り込んだ会場をあとにしましたが、この時に受けたインパクトと同様の直感をLAのトーランスで感じました。これはいけるぞ!気持ちは、「きもの新大陸発見」です。
2000年の暮れにLAマートにオフィスを構え、翌年2001年1月のギフトショーで先ずは実験的な販売に挑戦しました。国内で当時一番売れずに大量に在庫になっていたのが、黒の羽織です。昭和30年代、40年代、PTAルックと言われ昭和のお母様の必須アイテムだった黒羽織がまったくといってよいぐらい売れなくなっていました。そこで、買取価格は査定額ゼロ円、丸洗、殺菌、抗菌、消臭加工をして1,000円でたんす屋の店頭で売っていましたが、それでも売れ残ります。これをアメリカに送って30ドルで販売したところ、ギフトショー期間中で約1,000枚売れ約3万ドルの売上になりました。当時のレートでも300万円をゆうに超える金額です。
いくぞ、という思いで2001年3月にサンタモニカプレースモール2階の人気店ビクトリアズ・シークレットの隣りに「Kimono-ya 」をオープンしました。
