第1回「連載開始に際して」 | たんす屋創業者 中村健一の回顧録

著者近影

今回、DEPLOY MANAGEMENT 株式会社の社長、室木英人さんから原稿のご依頼を頂戴し、ありがたいなと思う反面、少なからず躊躇もありました。

私は2020年9月1日にまるやま・京彩グループに「たんす屋」を事業譲渡させて頂いて以降は現役を引退しておりましたが、昨年10月から丸山会長にお声かけ頂き、現在はまるやま・京彩グループの顧問をさせて頂いております。

2020年4月20日に民事再生法の申請をし、たんす屋のFCオーナー、社員、お取引先、株主をはじめ、長年に渡りたんす屋をご愛顧を賜ってきた多くの顧客に多大なご迷惑をおかけし、その後まるやま京彩・グループに事業譲渡させていただいた経緯を考えると、今回のご依頼について即答しかねておりました。

室木さんからは、昨年の夏に日経トップセミナーで私が過去の経緯を「しくじり先生」の様な企画でお話させて頂いた記事をネット上で読まれて、私が今回のオファーをポジティブに受ける可能性を感じてアプローチをして頂いたとのことでした。そこで、今回のご依頼の件は、丸山会長に内容を室木さんからご説明していただき、会長の了解を条件にお受けすることにさせていただきました。室木さんは早速わざわざ、まるやま・京彩グループの高津の本部までお越しになって丸山会長に今回の経緯と趣旨をお伝えになり、会長の寛大なご判断の結果、この原稿を書かせていただく運びになりました。

今この原稿を書き始め、本当に偶然にもあの日からまる4年が経過した4月20日であることに気づき、何か不思議な因縁を感じずにはいられません。よく企業も生き物に例えられますが、企業は生き物と異なり、法人格が消滅してもブランドは生き続けることは可能です。昨年の12月に、東京山喜株式会社の常務をしており、事業譲渡とともに移籍をさせて頂いた従兄弟の中村光宏さんが、たんす屋株式会社の社長に就任させて頂きました。叔父からお預かりした彼が紆余曲折もありながら、事業譲渡先で一定の評価を得て社長になれたこと、とてもありがたく嬉しいことです。

事業承継の難しさは、今日に始まったことでも、日本固有のことでもありません。この問題は、これからも世界中で起こり続ける問題です。室木さんが三代目として26歳の若さで社長就任された京朋は、彼のお祖父様の大江茂さんが昭和30年に創業された着物メーカーです。

京都の室町では着物メーカーのことを「潰し屋」と呼びます。おそらく白生地を染めることをつぶすと表現したことで、その様な呼称になったと思います。京朋さんは、あまたあった「潰し屋」の中では比較的歴史が浅い新興企業でしたが、創業者の大江茂さんの圧倒的な経営手腕でダントツぶっちぎりの儲け頭に成長していかれました。特に、「付下げ」と言う訪問着の簡易バージョンの発明が、着物のナショナルチェーンの黎明期と合致し、着物業界を代表する超高収益企業になっていかれました。

昭和24年に着物の統制が解除され、昭和34年の皇太子様と美智子様のご成婚で戦後の着物ブームに火がつき、昭和40年代後半には2兆円の市場規模に急拡大します。一旦ゼロになった市場が、わずか20年余りで大卒の初任給が5万円の時代に2兆円の市場規模になるわけですから、今の時代に換算すれば10兆円にもなろうかという奇跡的成長産業でしょう。その中にあって昭和30年代、40年代に最も儲かったポジションが京都の「潰し屋」と呼ばれた着物のメーカーでした。そしてその先頭を走っていた企業がまぎれもなく京朋さんでした。市場が成長する時期には川上、つまりメーカー側に強烈なプラスのバイアスがかかります。市場が前年比20%程度の成長をする時には、メーカーでは200%つまり倍の生産をしないと間にあわないぐらいの需要が生まれます。これが成長期に起きる在庫投資です。呉服問屋も積極的に在庫投資をしますし、急成長するNC(ナショナルチェーン)もどんどん出店をして、店舗数が急増し、店舗の在庫投資が進みます。実需を大きく上回る仮需要が生まれ、室町も西陣もそして日本橋堀留も空前の活況を呈していた、それが昭和40年代の着物業界でした。

そんな昭和40年代後半に東京生まれの室木さんのお父様が大江茂社長のお嬢様とご結婚され京朋の二代目となっていかれるわけです。室木さんのお父様は、学習院大学を卒業しておられますが、高校は都立駒場高校で、私の高校の大先輩でした。昭和の終わりから平成のはじめまでの4年間、私が室町三条で東京山喜の京都支店長をしていた折りに、御池通りを挟んで北側に位置する京朋の専務をしておられた室木さんのお父様には、京都では激レアな都立高校の後輩として、とても可愛がってもらいました。室木さんの自慢はあの吉永小百合さんの妹さんと同級生だったことでした。

都立駒場高校は戦前は府立第三高等女学校で第三高女と言えば女子の超名門校で吉永小百合さんの一年先輩には東京大学に進学して歌手になった加藤登紀子さんがおられ、室木さんは加藤登紀子さんに誘われて学生運動にのめり込んで行かれたそうです。その室木先輩のご子息の室木英人さんとはたんす屋のFCオーナー様としてご縁を頂戴しておりました。

不思議なご縁ですが、これから弊社の過去と事業承継に関して自戒の念も込めて書いていく所存です。暫しのお付き合いよろしくお願い申し上げます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

たんす屋創業者
1954年 京都生まれ。1979年 慶応義塾大学卒業後、祖父が京都で創業し、約80年の歴史を持つ老舗呉服卸店 東京山喜株式会社入社。1993年 代表取締役社長に就任。1999年 リサイクルきもの「たんす屋」事業を立ち上げ、それから僅か7年弱で100店舗を超えるまでに成長を遂げる。2001年 同事業にて第11回ニュービジネス大賞 優秀賞を受賞。2006年 商業界より『たんす屋でござる』を出版。2020年4月 コロナウイルス感染拡大に伴った緊急事態宣言発令の影響もあり、民事再生法の適用を申請。同年9月にまるやま・京彩グループにたんす屋事業を譲渡。現在はまるやま・京彩グループの顧問を務めている。

目次