第25回「IPOを目指して」 | たんす屋創業者 中村健一の回顧録

引用元:Forbes JAPAN 9.11から20年 アメリカ上空にいた私が見た異変

2001年(平成13年)の1月にニュービジネス大賞優秀賞を受賞させて頂いたのをきっかけに、複数のVC(ベンチャーキャピタル)からお声かけを頂戴するようになりました。この頃から、自分のなかでも上場を意識するようになります。

呉服問屋時代のお得意先の千葉県五香のマルカワさんという呉服店が、ある時本社を日本橋に移転し、社名を京都きもの友禅と変更されました。社長の河端 繁さんはたしか四国の愛媛県新居浜市のご出身で、特別京都にゆかりがあったわけではありませんが、非常に良い社名変更だったと思います。私が入社した当時は、年商3〜4億円のローカルで有力な呉服店だったと記憶しておりますが、振袖販売に特化して多店舗化を進め、1997年に店頭市場(現在のJASDAQ)に上場し、あっとゆう間に二部から一部上場を果たされ、時価総額も当時数百億円に急成長していかれました。この会社の上場劇は相当なインパクトがありました。

さて、2001年の9月11日は今も強烈な記憶に残っていますが、あの忌まわしい「アメリカ同時多発テロ事件」です。2001年9月11日火曜日の午後10時ごろのテレビでワールドトレードセンタービルの北棟に旅客機が激突した画像が流れて、何が起きているのかわからないうちに、まるで映画のワンシーンの様に2機目が南棟に激突するシーンが映し出されました。しばらくしてこれが同時多発テロらしいと判明しますが、その直後はまだ全容は明らかになっておりません。

Tokyo Yamaki USA の責任者から電話があり、5〜6機がハイジャックされた模様で、そのうちの一機はどうも、LAに向かっているようだとゆう事でした。更に、もしLAに向かっているとすればターゲットはセンチュリーシティビルに違いないと言ってきましたので、当然ながら本日は全店臨時休業にするように指示します。

ちなみにこの事件で、中学校時代のバスケット部で主将を務めていた木下崇さんが殉職しました。享年46歳です。私は副主将でしたので非常に近しくしておりました。彼は東大から富士銀行に入行し、その後みずほ銀行系の米国子会社MCMC(Mizuho Capital Markets Corporation)の社長としてワールドトレードセンタービルで勤務していたわけです。翌年、ニューヨークで開催されたギフトショーに参加した折りに、グランドZEROに献花をさせて頂きました。

この事件でアメリカの事業展開は大きく出鼻をくじかれることになります。事件後店舗の売上が伸び悩む中、催事販売を計画し、まずはLAのリトルTokyo にあるホテルニューオータニで「Kimono Cultural Festival 」を開催しました。お陰様で3日間の催事で日本円に換算して約3,000万円の売上が達成でき、一息ついたのを覚えています。

今も記憶に残っているお客様のエピソードです。年配の日本人女性でお一人で来場されておられました。西陣の「とみや」と言う機屋さんの帯の前で、立ち止まり熱心に眺めておられます。日本から販売応援に来てくださった「とみや」の冨家さんがいかがですかと接客にはいると、「若冲ね」と言われ、間違いなく「伊藤若冲」の絵画を忠実に再現した織機の綴れ織の帯でしたので、驚いてよくご存知ですね!と言うと、主人が大好きですので、とお答えになりました。まさかと思いながらご主人様はどなた様でしょうか?とお聞きすると、なんとジョー・プライスさんということ。ということは、なんとそのお客様こそ、伊藤若冲絵画の世界的コレクターで、若冲ブームの火付け役の奥様、エツコ・プライスさんでした。江戸時代に活躍した伊藤若冲の絵画の素晴らしさを今の日本人に気づかせてくれたのは、紛れもなくアメリカ人のジョー・プライスさんです。

その後サンフランシスコのジャパンタウンでも同じ催事を開催し、LAには及ばないながら予算達成をしてくれました。サンフランシスコには日系人コミュニティの新聞で北米毎日新聞があり、LAの羅府新報のような感じですが、ここに留学時代の友人で日系人のジェームス・ヤマモトさんが勤務しており、大きな記事にしてくれたおかげもあって地元に店舗がない割には集客が出来て成果に繋がります。その後前述のニューヨークのギフトショーにも参加しましたが、とくに東海岸まで足を伸ばすと、物流費も出張費も高くて収益を上げるのは容易ではありませんでした。

そのような状況下、VCから大型の出資のご提案がありました。ただし、赤字の米国子会社をクローズすることが条件です。特に、海外子会社の資産勘定を精査することが容易ではないと言うことが原因でした。VCからの出資を優先するか、米国子会社の将来に期待するかを検討した結果、撤退を決断します。現地で頑張ってくれているメンバーを思うと、断腸の思いでした。

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この記事を書いた人

たんす屋創業者
1954年 京都生まれ。1979年 慶応義塾大学卒業後、祖父が京都で創業し、約80年の歴史を持つ老舗呉服卸店 東京山喜株式会社入社。1993年 代表取締役社長に就任。1999年 リサイクルきもの「たんす屋」事業を立ち上げ、それから僅か7年弱で100店舗を超えるまでに成長を遂げる。2001年 同事業にて第11回ニュービジネス大賞 優秀賞を受賞。2006年 商業界より『たんす屋でござる』を出版。2020年4月 コロナウイルス感染拡大に伴った緊急事態宣言発令の影響もあり、民事再生法の適用を申請。同年9月にまるやま・京彩グループにたんす屋事業を譲渡。現在はまるやま・京彩グループの顧問を務めている。

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