第26回「銃社会アメリカ」 | たんす屋創業者 中村健一の回顧録

出典:2002 Los Angeles International Airport shooting

アメリカの同時多発テロの翌年、2002年の6月はほぼ1ヶ月LAに滞在して第一回の「Kimono Culutural Festival」の準備をしていました。LAマートの本部とサンタモニカ、センチュリーシティ、ウエストサイドパビリオン、リトルTokyoのホテルニューオータニの4店舗で五拠点に、約30人のスタッフが働いてくれていましたが、三分の一が日本人、三分の一が日系人、三分の一がアメリカ人の構成です。現地の責任者は、私の従兄弟の中村光宏さんが、バイスプレジデントとして駐在していました。みんなKimono好きのユニークなスタッフです。ちなみに、中村光宏さんは現在事業譲渡先でたんす屋株式会社の社長を仰せつかっております。

日系人のなかでも、最も印象に残っているスタッフが、スティーブ・シントウさんです。彼は、LAマートで長年着物の卸売をしておられました。京都室町の「山三」と言う呉服問屋から商品を仕入れ、全米にお得意先を持っておられたわけです。彼から年齢的に一人で商売を続けるのが厳しそうなので、Tokyo Yamaki USA で使ってくれないか、とリクエストがありました。彼は日系二世でアメリカ生まれですので、ネイティブの英語と流暢な日本語を話し、着物の知識もありましたので、採用させていただくことに。昭和2年生まれでしたので、当時70歳を越え、ちょうど今の私ぐらいの年齢だったと思います。彼の話を聞くと二人のお兄さんがおられましたが、長兄はUS Army、次兄は日本に帰国して大日本帝国陸軍の軍人だったとのこと。日米開戦直後、日本人は敵国人として、私有財産を没収され、コンセントレーション・キャンプ(敵国人強制収容所)に彼も家族ごと強制収容されたそうです。

しかし、採用直後からLAマートの本部スタッフから、私にスティーブに対する強烈なクレームが入るようになりました。彼は、年のせいもあってか気が短くすぐに怒り出すそうですが、そうなると黙って銃の手入れを始めるそうです。私の前では、短気な様子も銃を見せることも無かったので、半信半疑で彼を呼んで、常時ピストルを持っているのか?と問いただしました。すると彼は、肌身離さず持っているというのです。私は、即座に明日からオフィスにピストルを持ってくることを禁止する、と強く言いました。スティーブは、「私にピストルを持って来るなと言うことは、パンツをはかずに出社しろと言うことと同義語だ!」との返答。この70年間、俺はこれで自分と自分の家族を守ってきた、ということでした。カリフォルニア州の法律でも銃を保持する権利が認められているとのこと、日本の常識で押し切れることではなさそうであったので、まずはオフィスでは決して銃を見せない、手入れをしないことを約束させて一件落着させました。

ちなみに、スティーブ、そのピストルを撃ったことはあるの?と聞いたところ当たり前の様に、あるよ、との返答でした。驚いていつ撃ったの?と聞くと、LAマートで着物の卸売をはじめる前は、ダウンタウンで「ピアノバー」をやってたそうで、その時に午前2時ごろに店を閉めて売上金を持って帰ろうとした時、一台の車がやって来ていきなりホールドアップをされ、売上金を持っていかれたので、走り去る車に向けて「バン、バン、バン」と3発ぶちかましたそうです。そのピアノバーの常連で若いピアニストに惚れ込んで通い詰めていたのが、ロス疑惑の三浦和義さんだったそうで、日系人刑事のジミー佐古田氏が繰り返し捜査に訪れたとのこと。

さて、お陰様で、全スタッフを巻き込んで、徹底した集客作戦とLAタイムスと言うメジャーな新聞広告も功を奏し、第一回の「Kimono Culutural Festival 」を無事に終え帰国のチケットを取ろうとしますが、なかなか空きが無い状況でした。スタッフから、社長、7月4日だけ空きがありますが、この日は駄目ですよね、と言ってきます。私はいいじゃないか、7月4日で予約を取ってとお願いしました。それでも、他のスタッフからも独立記念日だけは避けた方がいいです、と言われましたが、まったく気にしません。当日の朝、バイスプレジデントの中村光宏さんに車でLAX(Los Angeles International Airport)まで送ってもらい、一緒に軽食を取っている時にちょうどイスラエルのエルアル航空機が眼に入りました。「危ないとすれば、これだよね」と彼に言ったことを覚えています。

早めにチェックインしてラウンジでくつろぐのが習慣でしたので、ANAのカウンターでチェックインを済ませましたが、お隣のカウンターがエルアル航空のカウンターでした。中村光宏さんに手を振って出国しラウンジに向かいました。ラウンジに入ってまもなく、「バン、バン、バン」とゆう音と二、三人が顔面蒼白でラウンジに飛び込んで来ます。エルアル航空のカウンターで銃撃事件が発生し、エルアル航空職員と乗客が死亡し複数人が負傷しました。結果的には犯人も射殺されましたが、当時は何の情報も無い状況で、私たち乗客は、ラウンジから炎天下の滑走路に避難を余儀なくされます。私は携帯電話で現地のスタッフと連絡を取り、ANAの職員や空港職員ではなく、テレビニュースで事件の概要を知ることに。9・11から一年も経過しない独立記念日当日だったため、アメリカ全土が「第二の9・11か」と騒然となりました。銃社会アメリカは、今も同じリスクがあるようです。

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この記事を書いた人

たんす屋創業者
1954年 京都生まれ。1979年 慶応義塾大学卒業後、祖父が京都で創業し、約80年の歴史を持つ老舗呉服卸店 東京山喜株式会社入社。1993年 代表取締役社長に就任。1999年 リサイクルきもの「たんす屋」事業を立ち上げ、それから僅か7年弱で100店舗を超えるまでに成長を遂げる。2001年 同事業にて第11回ニュービジネス大賞 優秀賞を受賞。2006年 商業界より『たんす屋でござる』を出版。2020年4月 コロナウイルス感染拡大に伴った緊急事態宣言発令の影響もあり、民事再生法の適用を申請。同年9月にまるやま・京彩グループにたんす屋事業を譲渡。現在はまるやま・京彩グループの顧問を務めている。

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