
印象深いFCのオーナーの話をさせて頂きます。
2006年8月31日に着物業界に戦後最大の激震が走りました。たけうちグループ15社が突然自己破産を大阪地方裁判所に申請しその日のうちに破産手続き開始決定を受けることに。今から20年以上前の話ですが、着物市場の凋落を決定づけるような事件でした。グループ全体の売上高は2005年10月期で約573億円、経常利益は推定で約50億円。負債総額は約205億円(商工リサーチ調べ)で、当時の着物業界最大手でかつ急成長の企業グループの経営破綻でした。
弊社も私が京都支店長時代に新規開拓でお取引がスタート。最も勢いのあった東海たけうち(後のマイソフィアインターナショナル)とお取引をしており、年間約1億円の商いがありました。たんす屋に急速なシフトをして問屋業を撤退する方向に舵を切っていましたが、1年先の企画の割当てを頂戴するので、2004年の段階で一年先の2005年10月までの企画は受注させて頂くが、それ以降は営業担当者がたんす屋のFCオーナーに内定しており、企画の受注ができない旨をお伝えさせていただいたことを記憶しております。これが東京山喜の呉服問屋としての最後のお取引でした。
それでも10年以上にわたり、たけうちグループのお取引先のイベントに出席させて頂いておりましたので、当日は携帯電話が鳴り止まないほど同業者の方々からご連絡をいただきました。私も最初に管理本部長へ電話でたけうちグループの受取手形残高を確認したところ、180日サイトのお手形を頂戴しておりましたが、なんと最後の一枚の手形が7月31日に決済されておりました。それを聞いて、全身から力が抜けるような感覚で胸を撫で下ろしたことを覚えております。繰り返すテレビ報道で高齢者への次々販売ローンのビジネスモデルが糾弾され、無借金の高収益企業グループが一夜にして消滅しました。
実はこの同じ日にもう一件の呉服店の自己破産の記事が信用情報に載っておりました。このコラムの第9回で写真付きでご紹介させていただいた、伊勢佐木町の矢口呉服店です。弊社はもうお取引が無くなって久しかったので、影響はありませんでしたが、寂しい気持ちでいっぱいでした。ときおりお伺いさせていただいておりましたが、2005年4月にたんす屋伊勢佐木町店を出店する折に、ご挨拶にお伺いさせていただいたのが最後でした。たんす屋伊勢佐木町店は、人気書店の「有隣堂」の斜向かいで一丁目、矢口呉服店はずーっと歩いて10分ぐらいの六丁目でした。
東京山喜はすでに問屋業をほぼ完全撤退し、たんす屋も100店舗になろうかと言う勢いでしたので、矢口さんもいずれは伊勢佐木町にも出すのではないかと思っていたと言っていただきましたが、胸中は複雑だったと思います。私とすれば、着物の商いの基本を教わった師匠と認識しており、いずれ恩返しができればと思っておりました。お父様の社長はすでに亡くなっておられ、それでも小柄なお母様は変わらずに店頭に立っておられました。美人の奥様にはお会いできませんでしたが、小一時間ほどむかし話をして失礼をすることに。
矢口呉服店の自己破産の記事を読んで以来、ひどく気にはなっておりました。2006年の秋、おそらく10月の下旬だったと思いますが、日本橋人形町の本社から昼食に行こうと会社を出たところ、堀留庵の前で呆然と立ち尽くす大柄な矢口さんに出会います。明らかに私に会いに来られたと思い、とりあえず堀留庵の名物大鴨せいろを二人前注文し、その後本社5階の社長室に案内します。最後にお会いしてから約1年半、あまりに変わり果てた姿を見て、ひとかたならぬご苦労があったことが容易に想像できました。
ぽつり、ぽつりと、ことの顛末を話し出し、あれから一年後に戦力だったお母様を亡くされ、それから資金繰りが逼迫するなか、奥様がお嬢様を連れて出ていかれ離婚になり、極めつきは一人暮らしの不摂生がたたって、心筋梗塞を発症し、ついに2006年8月31日に経営破綻をしたとのことでした。その後自宅兼店舗から出されて、現在のところなんとか知人宅で療養を継続しておられるとのことでしたので、先ずは治療に専念して頂く様にお願いして一旦お帰りいただくことに。
私は、矢口さんの眼の奥にまだ諦めていないという強いものを感じました。私は矢口さんの着物に関しての思入れとビジネスセンスを認識しておりましたので、手元に加盟金も保証金も無いことを前提に、FCオーナーモデルを別誂えさせて頂き、軌道に乗りだした、たんす屋伊勢佐木町店で先ずは雇われ店長で体調を整えながら、試運転を再開することをご提案させていただきます。矢口さんは私の提案を非常に喜んでいただき、数十年慣れ親しんだ伊勢佐木町商店街で着物ビジネスを再開できることを楽しみにされ、前任店長さんの交代に合わせ、2007年の春に将来的にFCオーナーを目指すことを前提として、たんす屋伊勢佐木町店の店長にご就任していただきました。この時矢口さん満59歳でした。
